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「相葉はどうなっちゃうの?」——後輩の一言がなければ、嵐は4人グループだった。
5月31日、嵐が東京ドームで27年の活動に終止符を打つ。
1999年の結成時、5人中3人はデビューに消極的だった。
5人目のメンバーは、直前まで構想にすら入っていなかった。
「最初から5人で選ばれた」と思われがちな嵐は、実は複数の偶然が重なって生まれたグループだった。
この記事でわかること

嵐メンバーの半数以上がデビューを断ろうとしていた
「いいよ。
やるよ」——辞めるつもりで快諾した男が、嵐の主軸になった。
当時高校3年生だった 櫻井翔 は、ジャニーズを辞めて「普通の大学生になる」つもりでいた。
Number Web によると、1999年6月に「ワールドカップのイメージキャラクターをやらないか」と電話がかかってきたとき、「このグループは一時的なものだ」と判断して軽く引き受けたという。
大野智 と 二宮和也 も、デビューに前向きではなかった。
大野は事務所に 2 度辞意を伝えており、二宮も辞める意向を持っていたとされる。
5人中少なくとも3人が、「嵐になる」ことをまったく望んでいなかった。
なぜこうなったのか。
文春オンライン が伝える結成の背景はこうだ。
1995年のバレーボールワールドカップに合わせてV6が結成され、フジテレビの独占中継で全国に露出して成功した。
その成功モデルを踏襲し、4年後の1999年大会に向けて「次のグループ」を作る計画が動いていた。
グループという器が先に決まり、中身のメンバーはそこへ当てはめていく形だった。
「辞める気でいた3人が揃って踏み切れた」背景には、「バレーW杯が終われば解散するかもしれない期間限定ユニット」という認識があったとみられる。
永続するグループに入るという覚悟なしに5人が揃ったことが、嵐の出発点だった。
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では当時のジュニア内で「本来、選ばれるべき人気者」だったのは誰だったのか。
当時のジュニアで「人気者」だったのは誰か
渋谷からNHKまで 15 分の道のりが 30 分かかった。
プレゼントを受け取りながら歩く2人がいたからだ。
文春オンライン の取材に応じた元ジュニアによると、 相葉雅紀 と 二宮和也 は渋谷駅からNHKへ通うルートでファンに囲まれ、移動だけで倍の時間がかかる存在だった。
プレゼントの数は相葉のほうが多かったという。
森永乳業のアイスクリーム「ピノ」のコマーシャルにメインで出演するなど、すでに広告の顔としても活躍していた。
松本潤 も例外ではなかった。
14 歳の1997年には日本テレビの連続ドラマにレギュラー出演し、同年には相葉・二宮と舞台でメインキャストを務めた。
この3人がジュニアの「顔」だった。
以下に3人の当時の活躍をまとめる。
しかし実際に最初に設計されたグループの軸は、この3人のなかにはなかった。
ラップを得意とする 櫻井翔を中心に据え 、そこに二宮と松本を加えるという構想が先にあった。
「2人の歌がひどいので、歌と踊りがうまい大野を呼んだ」とレコード会社社員は語る。
人気の高低ではなく、必要な「役割」を埋める形でメンバーが選ばれていった。
そのリーダーとなる大野智は、このとき東京のジュニアの主流から完全に外れた場所にいた。
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大野智は毎日5回、修学旅行生の前で踊っていた
1 時間のショーを1日 5 回。
その観客の男子は寝ていた。
文春オンライン によると、 大野智 は1997年からJR京都駅に併設された劇場「 KYO TO KYO 」に出演していた。
牛若丸など京都の歴史をモチーフにしたショーで、修学旅行の行程に組み込まれていた。
午前 2 回・午後 3 回、1日合計 5 回の公演をこなした。
元ジュニアはこう語る。
「貸切だと最悪ですよ。
興味のない男は寝てるし 」。
東京で人気を集める相葉・二宮・松本と、寝ている観客の前で毎日踊り続ける大野。
この落差は際立っていた。
しかし「歌と踊りがうまい大野を呼んだ」という選定の言葉が示すように、 1日5公演という場数がパフォーマンスの安定性を作り上げた 面はあるだろう。
好む好まざるにかかわらず、どんな観客の前でも仕上げる技術が、地方劇場での日々に磨かれたとみられる。
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人気でも選ばれず、地方で踊り続けた男が実力で召喚された。
だがこの4人が揃っても、5人目の選定はまったく別の軸で動いていた。
滝沢秀明の一言がなければ嵐は4人だった
「頼むから入れてくれ」——この懇願が、5人目の嵐を作った。
慶應義塾の幼稚舎から大学進学を見据えていた 櫻井翔 は、ジュニア内での存在感が飛び抜けて高いわけではなかった。
その櫻井を ジャニー喜多川 に強く推したのは、当時マネジメントを担っていた 藤島ジュリー景子 だった。
文春オンライン が伝えるところによると、作家・早見和真との対談集『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』(新潮社)のなかでジュリーは 「頼むから入れてくれ」 とジャニーに懇願したと明かしている。
「可愛げ、賢さ、あとやんちゃな部分」——ジュリーが見抜いた魅力が、グループの主軸を作った。
相葉雅紀 の加入はさらに偶然の色が濃い。
ラップ担当の櫻井、実力者の大野、人気者の二宮・松本という構成で、当初の構想に相葉の名前はなかった。
同書によると、 「相葉はどうなっちゃうの?」 という 滝沢秀明 のジャニーへの一言で、相葉が5人目として加わることになった。
パスポートを持っているかを確認されてそのままハワイに連れて行かれた、というエピソードが残っている。
嵐の公式Xアカウント(@arashi5official)は2019年11月の開設以来、ファンとの接点として機能し続けてきた。
この結成の経緯を見ると、ある構造が浮かぶ。
グループの「器」——バレーW杯のイメージキャラクターという枠——は先に決まっていた。
しかし中身のメンバーは、 ジュリーの個人的な熱意 と、 滝沢という後輩の気遣い という感情的な介入によって最後の2人が決まった。
嵐というグループは「実力と人気の選抜」ではなく、 タイミング・人間関係・マネジメントの意志が交差した偶然の連鎖 で完成したとみられる。
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こうして偶然の連鎖で揃った5人は、しかしデビューしてすぐに国民的アイドルになったわけではなかった。
「なんとか1位」から84億円のラストライブへ
500 円で売ったシングルと、 84 億円のラストライブ——同じ5人の、27年の距離。
1999年11月のデビューシングル「A・RA・SHI」はオリコン1位を獲得した。
しかしその後は、ジャニーズとして至上命題の週間1位を取れない時期が続いた。
文春オンライン によると、 藤島ジュリー景子 は所属レコード会社の力の入れ方に不満を持ち、2001年に嵐専属のレコード会社「 Jストーム(現ストームレーベルズ) 」を設立した。
移籍第1弾シングル「a Day in Our Life」を 500 円という破格の価格で発売し、「なんとか1位を取った」という。
この「なんとか」という言葉の重さは、今夜の東京ドームと並べると際立つ。
シングル500円販売で「なんとか1位」を争う時代
約70万人動員・約84億円規模の国民的イベントへ
潮目が変わったのは2005年10月だった。
TBSのドラマ「花より男子」への 松本潤 の出演が大ブレークを呼んだ。
同ドラマへの出演は松本にとって「棚ボタの仕事」だったとも伝えられているが、結果としてグループの知名度を大きく引き上げた。
今日5月31日のラストライブを観るファンの多くは、この転換点以降に嵐を知ったはずだ。
「最初から国民的アイドルだった」という印象は、 500円シングルで1位を争っていた時代 と重なっていない。
文春オンライン によると、ラストツアーの総動員数は約 70 万人、総売上は約 84 億円に達するとみられる。
活動休止中もファンクラブ会員数は 300 万人を超えるとされ、これは日本の成人人口のおよそ 3 %にあたる規模だ。
その300万人が、6年近く「終わらない嵐」を待ち続けた。
現代ビジネス によると、ラストツアーでは民放キー局での一斉CM放送を行う一方、テレビ出演はゼロ、取材もほぼ遮断という異例の姿勢を貫いた。
ファンクラブ向けの生配信チケットは 3,900 円、一般向けは 6,000 円で販売された。
最後の日も「ファンに向けてだけ届ける」という方針を崩さなかった。
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1999年9月15日、ハワイのクルーズ客船で記者会見を行った5人が東京ドームにたどり着くまでに、無数の「もしも」があった。
ジュリーの懇願がなければ、滝沢の一言がなければ、大野が京都にいなければ——そのどれが欠けても、今夜の東京ドームは違う景色だったはずだ。
まとめ
- 嵐は1999年のバレーボールワールドカップのイメージキャラクターとして結成されたが、5人中少なくとも3人(大野・二宮・櫻井)がデビューに消極的か辞意を持っていた
- 大野智はデビュー直前まで、JR京都駅の劇場「KYO TO KYO」で修学旅行生向けに1日5公演をこなす地方営業中だった。「歌と踊りがうまい」という実力一点でメンバーに召喚された
- 5人目の相葉雅紀は当初の構想にいなかった。滝沢秀明の「相葉はどうなっちゃうの?」という一言が、5人体制を完成させた
- 藤島ジュリー景子は「頼むから入れてくれ」とジャニー喜多川に懇願して櫻井翔を押した。グループの最終的な形は、実力選抜ではなく人間関係と意志の介入が決めた
- デビュー後は500円シングルで「なんとか1位」を争う時代を経て、ラストツアーは約70万人動員・約84億円規模のイベントになった
5人が揃ったのは偶然ではなく、複数の偶然が重なったことだった——そしてその連鎖が今夜、東京ドームで幕を閉じる。
よくある質問(FAQ)
Q1. 嵐の結成日はいつですか?
1999年9月15日にハワイ州ホノルル沖のクルーズ客船で結成記者会見を行い、同年11月3日にデビューシングル「A・RA・SHI」をリリースしました。
Q2. 嵐はなぜ結成されたのですか?
1999年のバレーボールワールドカップのイメージキャラクターを務めるグループとして結成されました。
1995年のV6の成功モデルを踏襲したものです。
Q3. 嵐の結成メンバーはどうやって選ばれたのですか?
ラップ担当の櫻井翔を軸に二宮和也・松本潤を加え、歌と踊りの実力で大野智が召喚されました。
相葉雅紀は滝沢秀明の一言で5人目として加わったとされます。
Q4. 大野智はなぜリーダーになったのですか?
デビュー直前まで京都駅の劇場で1日5公演をこなしており、「歌と踊りがうまい」という実力を評価されてメンバーに加わりました。
リーダー就任の詳細な経緯は公表されていません。
Q5. 嵐に入れなかったかもしれないメンバーは誰ですか?
相葉雅紀は当初の構想に入っておらず、滝沢秀明が「相葉はどうなっちゃうの?」とジャニー喜多川に言ったことで5人目として加わったと文藝春秋が報じています。
Q6. 嵐のファンクラブは活動終了後も続きますか?
嵐のファンクラブは2026年5月末をもって終了することが発表されています。
詳細はSTARTO ENTERTAINMENTの公式情報をご確認ください。
Q7. 嵐のラストライブはいつどこで行われましたか?
2026年5月31日に東京ドームで「ARASHI LIVE TOUR 2026『We are ARASHI』」のツアーファイナルが開催され、この公演をもってグループ活動が終了しました。
Q8. 嵐は再結成する可能性はありますか?
グループ名称は「解散」ではなく「活動終了」を選んでおり、再始動の可能性についての公式なコメントは現時点で出ていません。
📚 参考文献
- 文春オンライン「《嵐が31日活動終了》ジュリーが「頼むから入れてくれ」と懇願した櫻井翔、リーダー大野は京都で1日5公演の地方営業をしていた【結成秘話】」 (2026年5月30日)
- 文春オンライン「嵐・解散ライブ前に「メンバー間の対立が再燃」情報…"約84億円"全国ツアー、極秘で準備も気がかりな「再集結への暗雲」」 (2025年12月24日)
- 現代ビジネス「最後まで「ファンファースト」を貫いた嵐…ビジネス度外視のラストライブに漂う国民的グループの誇り」 (2026年5月31日)
- Number Web「V6「バレーやらない?」嵐「you達やっちゃいなよ」…なぜW杯から国民的ジャニーズアイドルは生まれ続けたのか」 (2024年6月10日)
- 中日スポーツ「【嵐】結成から活動終了発表まで…軌跡まとめ 1999年の結成会見はハワイ、紅白初出場は2009年」
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リアルタイムニュースNAVI 編集部
reaitimenews.com
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