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2026年2月28日、米軍がイスラエルとともにイランへの攻撃に踏み切った。
かつて同盟国だった両国は、なぜ砲火を交える関係になったのか。
1953年のCIAクーデターから本日までの経緯を、3つの転換点でたどる。
この記事でわかること
対立の原点は「アメリカ自身」だった——CIAクーデターと親米時代の崩壊
イランの反米感情の原点は、アメリカ自身の行動にある。
イランとアメリカの対立は「宗教や文化の違い」が原因だと思われがちだ。
中東のイスラム国家と西側の超大国。そう聞けば、もともと相いれない関係に見える。
ところが1979年まで、イランはアメリカの同盟国だった。
アメリカの車が街を走り、西洋文化が流入する「親米国家」だったのだ。
Wikipediaの記述によると、両国の関係は19世紀後半に始まった。
第二次世界大戦の直後まで「政治的・文化的な同盟国」だったという。
イランの国民はアメリカを、イギリスやロシアの干渉に対抗する「第三の力」として信頼していた。
石油をめぐるCIAクーデター
転機は1950年代に訪れる。
1951年、民族主義者のモサデク首相がイランの石油国有化を宣言した。
イギリスの石油会社が独占していた利権を取り戻す動きだ。
📰 毎日新聞の報道
毎日新聞によると、「イラン側の反米感情の原点とされるのが、1953年に石油国有化を進めていたモサデク首相が失脚したクーデター」だ。
1953年、米CIAとイギリスの工作でクーデターが起きた。
民主的に選ばれたモサデク首相は失脚し、親米のパーレビ国王が実権を握った。
アメリカが民主的な政権を倒し、自国に都合のよい独裁者を据えた。
この事実は、後にイラン国民の反米感情の根底に刻まれることになる。
国王の独裁が革命の土壌をつくった
パーレビ国王はアメリカとの結びつきを深めた。
冷戦下でソ連に対抗する「反共の砦」として、軍事同盟にも参加した。
1963年には白色革命と呼ばれる近代化政策を始める。
農地改革や女性参政権の導入など、王権による上からの西洋化だ。
だが急激な改革は貧富の差を広げた。
Business Insiderの解説によると、秘密警察が反対勢力を弾圧し、言論の自由も封じ込められた。
国民の不満は限界に近づいていた。
その爆発が1979年のイラン革命であり、米イラン関係は二度と戻れない地点に達する。
革命・人質事件・断交——1979年の衝撃が関係を壊した
1979年に起きた3つの出来事が、両国を修復不能にした。
イラン革命、アメリカ大使館の人質事件、そして国交断絶だ。
もし自分の国の外交官が1年以上拘束されたら——
この年に起きたことは、それほどの衝撃だった。
親米国家が一夜で反米国家に変わった
1979年1月、パーレビ国王が国外に逃れた。
王政は崩壊し、フランスに亡命していた宗教指導者ホメイニ師が帰国する。
後藤達也氏の解説によると、新政権は「反米・反イスラエルへと180度転換」した。
| 革命前 | 革命後 | |
|---|---|---|
| 外交 | 親米・西側同盟 | 反米・反西側 |
| 統治 | 世俗的な王政 | イスラム共和制 |
| 対イスラエル | 友好的 | 敵対 |
| 石油政策 | 欧米企業と協力 | 国有化を維持 |
革命の背景には、CIAクーデターで権力を得たパーレビ国王の独裁への怒りがあった。
つまりイランが勝手に反米になった → 1953年にアメリカが蒔いた種が、26年後に芽を出した構図だ。
大使館人質事件と断交
1979年11月、テヘランのアメリカ大使館が占拠された。
ホメイニ師を支持する学生たちの犯行だ。
⚠ 外交史上でも異例の事態
52人が人質となり、444日間にわたって拘束された。
外交官やその家族が1年以上も監禁されるという、外交史上でも異例の事態だった。
カーター大統領は救出作戦を命じたが失敗する。
この屈辱はアメリカ国民の対イラン感情を決定的に悪化させた。
1980年4月7日、アメリカはイランとの国交を断絶した。
以来46年にわたり、両国の正式な外交関係は存在しない。
興味深い事実がある。
2020年、トランプは「52カ所を標的にした」と警告した。
この「52」は人質事件の52人に由来する。
40年以上が経っても、あの事件がアメリカの対イラン政策を規定し続けているのだ。
断交後もイラン=イラク戦争(1980〜88年)で、アメリカはイラクのフセイン政権を支援した。
イランから見れば「自国の敵を支援した」行為であり、不信はさらに深まった。
それでも2015年、両国の関係に雪解けの兆しが見えた。イラン核合意だ。
だがその合意も崩れ、事態は軍事衝突へ加速していく。
核合意の崩壊から「2度目の攻撃」へ——2015年〜2026年の急展開
2015年のイラン核合意は、わずかな希望だった。だが崩壊は速かった。
2026年2月26日の核協議は「最後のチャンス」と報じられた。
そのわずか2日後に攻撃が始まった。
核合意とは何だったのか
2002年、イランの核開発疑惑が浮上した。
核兵器をつくっているのではないかという疑いだ。
イラン側は平和利用を主張したが、欧米各国は経済制裁を課した。
そして2015年、アメリカを含む6カ国とイランが合意に至る。
📋 イラン核合意(JCPOA)の骨子
イランが核開発を制限する代わりに、経済制裁を解除する。
核兵器に使えるレベルのウラン濃縮を15年間行わないことが柱だった。
イランにとってこの合意は「経済的な生命線」でもあった。
制裁の解除によって国際貿易が再び動き出すからだ。
ところが2018年5月、トランプ大統領が核合意からの一方的な離脱を宣言する。
「甘すぎる」というのが理由だった。制裁は再開され、イランの経済は再び苦境に陥った。
2025年「12日間戦争」——核施設が標的になった
核合意の崩壊後、緊張は軍事衝突に発展する。
2025年6月13日、イスラエルがイランへの先制攻撃を開始した。
核施設を含む100カ所以上が標的となり、イスラエルは制空権を掌握したと発表した。
テレビ朝日の報道によると、この軍事衝突にアメリカも参加した。
B2爆撃機に大型貫通爆弾「バンカーバスター」を搭載し、イランの核施設3カ所を空爆した。
イランも報復に出た。
カタールにある中東最大の米軍基地にミサイルを発射し、戦火が中東全域に広がる懸念が高まった。
12日間戦争の被害
テレビ朝日の報道によれば、12日間の戦闘による死者はイラン側935人、イスラエル側28人。
最終的にトランプ政権が提示した停戦案で合意が成立し、「12日間戦争」は終わった。
そして2度目の攻撃へ
停戦後も不安定な状態が続いた。
2025年12月、イラン国内で経済悪化を背景に大規模な抗議デモが広がった。
治安当局との衝突が激化し、死傷者は3000人以上にのぼったとの報道もある。
2026年に入ると、核問題をめぐる米イラン協議が再開された。
オマーンの仲介で3回にわたって間接協議が行われた。
BBCの報道によると、イラン側は国際的な監視のもとで3〜5年間のウラン濃縮停止を提案したとされる。
だがアメリカが求める「完全な停止と濃縮ウランの国外移送」とは大きな隔たりがあった。
📅 協議から攻撃までの流れ
① 2月7日頃——1回目の間接協議(オマーン)
② 2月中旬——2回目の間接協議
③ 2月26日——3回目の協議(ジュネーブ)、合意に至らず
④ 2月28日——米軍・イスラエル軍がイランへ攻撃を開始
2月28日、毎日新聞が「米軍とイスラエル軍は28日、イランへの軍事攻撃に踏み切った」と報じた。
核開発をめぐる交渉でイラン側の対応が不十分だと判断したとみられる。
ロイター通信は、イラン当局者の発言を伝えた。
「報復措置の対応は壊滅的なものになるだろう」。
2025年6月に12日間戦争が起き、停戦し、核協議を重ね、そして再び攻撃。
同じパターンが8カ月で繰り返されている。
外交の行き詰まりが軍事行動を呼び、軍事行動が外交の余地をさらに狭めるという悪循環だろう。
1953年のCIAクーデターから73年。
親密だった同盟国は、いま砲火を交えている。報復の連鎖がどこまで広がるのか、事態は予断を許さない。
まとめ:73年の対立を3つの転換点で振り返る
- 1953年——CIAがイランの民主政権をクーデターで倒した。これが反米感情の原点になった
- 1979年——イラン革命で親米から反米に転換。大使館人質事件を経て国交断絶に至った
- 2015年——核合意でわずかに歩み寄ったが、2018年のトランプ離脱で崩壊した
- 2025年——イスラエル・米軍による12日間戦争で軍事衝突に発展した
- 2026年2月28日——核協議決裂からわずか2日後、米軍とイスラエル軍が再びイランを攻撃した
「宗教の対立」「文化の違い」だけでは、73年にわたる確執は説明できない。
アメリカ自身の介入が反米感情を生み、それが革命を招き、断交と軍事衝突の連鎖につながっている。
今後の焦点は、イランの報復がどの規模になるか、そしてホルムズ海峡の安全が保たれるかだ。
中東産原油の海上輸送の要であるこの海峡が封鎖されれば、日本を含む世界経済への影響は避けられない。
よくある質問(FAQ)
Q1. アメリカとイランはいつから対立している?
1953年のCIAクーデターが反米感情の原点です。1979年のイラン革命で関係が決定的に悪化し、1980年に国交断絶しました。
Q2. イランとアメリカの国交が断絶したのはいつ?
1980年4月7日に断絶しました。以来46年にわたり正式な外交関係はなく、スイスが利益代表部を通じて権益を代行しています。
Q3. イラン核合意(JCPOA)とは何か?
2015年に6カ国とイランが結んだ協定です。核開発を制限する代わりに経済制裁を解除する内容でしたが、2018年にトランプが離脱しました。
Q4. 12日間戦争とは?
2025年6月13日〜25日にイスラエルとイランの間で起きた軍事衝突です。米軍もイランの核施設3カ所を空爆し、停戦後も緊張が続きました。
Q5. イランはなぜ反米になった?
1953年にCIAが民主的なモサデク政権をクーデターで倒したことが原点です。その後の独裁政権への怒りが1979年の革命につながりました。
Q6. 日本への影響はある?
ホルムズ海峡が封鎖されれば中東産原油の海上輸送が止まり、原油価格高騰を通じて日本経済にも影響が及ぶおそれがあります。
Q7. ホルムズ海峡はなぜ重要?
中東産原油の海上輸送の要衝です。日本が輸入する原油の大部分がこの海峡を通過するため、封鎖されれば供給に重大な支障が出ます。
Q8. イランとイスラエルはなぜ対立している?
1979年のイラン革命以降、反イスラエル路線を掲げたことが起源です。革命前のイランはイスラエルと友好関係にありました。
リアルタイムニュースNAVI 編集部
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📚 参考文献
- 毎日新聞「かつては『親米』だったイラン、近年は激しく対立 溝深めた経緯は?」(2026年2月28日)
- 毎日新聞「米・イスラエル、イランへ軍事攻撃」(2026年2月28日)
- ロイター「イランは報復を準備、対応は壊滅的なものに=当局者」(2026年2月28日)
- BBC「アメリカとイランの核協議が終了、『大きな進展』あったと仲介国オマーンの外相」(2026年2月27日)
- テレビ朝日「【これまでの経緯】アメリカとイスラエルがイランに先制攻撃」(2026年2月28日)
- Business Insider「それは1979年から始まった。アメリカとイラン、敵対の歴史を紐解く」(2020年1月9日)
- 後藤達也 note「【そもそも解説】アメリカ・イランの歴史的関係」(2025年6月23日)
- Wikipedia「アメリカ合衆国とイランの関係」