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胃がんと診断されても、弁護士が何度保釈を求めても、 相嶋静夫 さんは拘置所から出られなかった。
2021年2月7日、72歳で亡くなった。
その後、逮捕も起訴も違法だったと裁判所が認定した。
警察と検察はその後に謝罪し、幹部が個人で賠償金を負担した。
しかし遺族の問いはそこで終わらなかった。
なぜ、裁判所は保釈を認めなかったのか——。
胃がんになっても拒まれ続けた「8回」の保釈請求
相嶋静夫 さんは2020年3月11日、外国為替及び外国貿易法違反の疑いで逮捕・起訴された。
胃がんが見つかっても、保釈請求は 8回 すべて却下された。
日弁連の事件記録 によると、逮捕から約7か月後の同年10月7日、拘置所内の診察で胃に悪性腫瘍があると診断された。
それより前の9月15日には、拘置所内で 輸血処置 を受けていた。
体はすでに限界に近い状態だった。
弁護側はこの間、保釈を求め続けた。
しかし 東京地裁 は認めない。
検察は「 罪証隠滅のおそれがある 」と繰り返し反対した。
裁判所はその意見をほぼ追認した。
保釈請求の回数は、合計 8回 に及んだ。
FNNの報道より
FNNの報道 によると、東京地裁は保釈を認めず、検察が起訴を取り消す前に相嶋さんは亡くなった。
遺族側は「 裁判官として尽くすべき注意義務を怠った 」と主張している。
ここで知っておいてほしい事実がある。
8回 のうち、 一度だけ保釈決定が出た 。
裁判所がついに「認める」と判断した瞬間があった。
ところが検察が不服申立てを行い、その決定は取り消された。
相嶋さんは結局、外に出られないままだった。
「実は」——二重の壁
裁判所が「保釈を認める」と決めれば出られる → 検察が異議を申し立てれば覆すことができる 。
扉が2枚あるようなこの構造が、相嶋さんの身柄を拘束し続けた。
2020年11月5日、ようやく 勾留 が一時停止され、外部の病院に入院した。
しかしがんはすでに末期だった。
日弁連の記録 には、こんな事実も残る。
社長の 大川原正明 さんと取締役の 島田順司 さんは保釈されたとき、相嶋さんとの接触を禁じる条件が付いていた。
そのため、 相嶋さんが亡くなる瞬間に立ち会うことができなかった 。
2021年2月7日、相嶋さんは息を引き取った。
逮捕から約11か月後のことだ。
では、なぜ保釈はここまで認められなかったのか。
そこには、日本の刑事司法が長年抱えてきた構造的な問題がある。
「裁判所は中立」は本当か—— 人質司法 の正体
「裁判所は警察・検察とは独立した中立の機関だ」——多くの人がそう思っている。
保釈の判断も、公平に行われるはずだ、と。
実はそうではない。
裁判所は中立で、保釈の判断も公平に行われる → 実務では検察の反対意見をほぼ追認する構造がある 。
刑訴法の構造を解説した記事 によると、 刑事訴訟法89条 は次のように定めている。
刑事訴訟法89条(権利保釈)
「保釈の請求があったときは次の場合を除いては、 これを許さなければならない 」
つまり、一定の例外を除けば、 保釈 は原則として認めなければならない。
これを「 権利保釈 」という。
さらに同法90条は、たとえ例外事由があっても、健康状態や生活上の不利益を考慮して裁判所が職権で保釈を認めることができると定めている。
条文自体が「 被告の健康を考慮せよ 」と命じているのだ。
しかし実務は、条文とは逆方向に動くことがある。
検察が「 罪証隠滅 のおそれがある」と反対意見を出すと、裁判所はその意見をほぼ追認する。
そうなると 否認するほど出られなくなる という構造が生まれる。
自白した被告人のほうが早く外に出やすい。
これが「 人質司法 」と呼ばれる問題の正体だ。
専門家の指摘
刑事弁護OASISの報告 で、映画監督の 周防正行 さんや弁護士は「 長期の勾留を許可している裁判官に根本的責任がある 」と発言している。
大川原事件ではさらに一段深い問題があった。
裁判所が一度保釈を認めても、 検察が 準抗告 すれば覆せる 。
相嶋さんの場合、まさにそれが起きた。
つまり、保釈を阻む壁は2枚あった。
1枚目は「裁判官が認めない」。
2枚目は「認めても検察が取り消す」。
どちらかの壁が立ちはだかれば、外には出られない。
では、その壁を作った側——裁判所——の責任は、これまでどうなっていたのか。
警察・検察は謝罪した。では裁判所は?
2025年5月、 東京高裁 は判決を下した。
逮捕も起訴も違法だった。
しかし警察・検察が謝罪した一方で、裁判所は今も沈黙を続けている。
警視庁公安部による逮捕と東京地検による起訴は、ともに違法だった。
東京都と国に計約 1億6600万円 の賠償を命じた判決は、上告なく確定した。
その後、対応が続いた。
警視庁と最高検の幹部は、相嶋さんの墓前で謝罪した。
2026年2月には、元警視庁公安部幹部ら3人が個人で計 528万円 を支払った。
捜査員個人が賠償金を負担するのは 異例の事態 だ。
刑事弁護OASISの記事 の中で、大川原社長はこう述べている。
「 裁判所は一人の命が失われても、謝罪も検証もなく沈黙を続けている 」。
最高裁 は2026年1月15日、全国の刑事裁判官約 70人 をオンラインで集めた研究会を開いた。
山陽新聞の報道 によると、約3時間の研究会では「証拠隠滅のおそれを具体的に特定することが重要だ」「被告の健康状態を正確に把握する必要がある」などの意見が出た。
ただしこの研究会は、大川原事件の個別の保釈判断を検証したものではない。
一般論として議論した場にとどまった 。
遺族が動いた
テレビ朝日の報道 によると、遺族の弁護団は、逮捕状の発付や保釈却下に関わった 裁判官 37人 の責任を追及する訴訟 を東京地裁に起こした。
国に約 1億7000万円 の損害賠償を求めている。
「勾留を続ければ生命に危険が及ぶことは明らかだった」——これが遺族の主張だ。
裁判官個人の判断を 国家賠償法 上で問うことは極めて異例だ。
勝訴は容易ではないとみられる。
それでもこの訴訟が持つ意味は、金銭の回収だけにとどまらないだろう。
この事件が問いかける、もう一つの問い
報道されている文脈をもとに別の角度から見ると、この事件は「警察と検察の暴走」だけでは説明しきれない問題を浮かび上がらせる。
今回の事件は「警察と検察の暴走」として報道されることが多い。
その認識は正しい。
逮捕も起訴も、裁判所が「違法」と認定した。
しかしもう一つの角度から見ると、別の問いが浮かぶ。
保釈制度 は、本来「不必要な拘束を防ぐ安全弁」として設計されている。
刑訴法の条文は、被告の健康・生活上の不利益を考慮せよと明記している。
それでも相嶋さんは、がんを患いながら拘置所に閉じ込められ続けた。
報道された事実をもとに考えると、この事件は 「捜査の効率性」が「生命権」より優先された事例 といえるのではないだろうか。
検察が「罪証隠滅のおそれ」を主張すれば、裁判所はそれを追認する。
その結果、がん末期の被告でも外に出られない。
制度は「生命を守れ」と言っているのに、 運用は逆向きに動いた 。
刑事弁護OASISの報告 で、経済同友会の 間下直晃 氏はこう述べた。
「 人質司法は甚大なリスクだ。
海外からすればこんな国でビジネスはしたくない 」。
この発言は、単なる感情論ではない。
新しいビジネスに挑戦した人が、疑いをかけられただけで約1年間閉じ込められうる社会では、誰もリスクを取れなくなる。
大川原化工機は、粉ミルクやインスタントコーヒーを作る機械を製造していた会社だ。
その社長が、生物兵器製造に加担したとして逮捕された。
後に、その嫌疑自体が根拠のないものだったと認定された。
「裁判官の独立」という問い
「裁判官の独立」は、司法の根幹をなす原則だ。
しかし 独立とは、誤っても検証されないことではないだろう 。
むしろ独立しているからこそ、自らの判断に厳しい説明責任が伴うはずだ。
もし自分が突然逮捕され、病気になっても出られないとしたら。
その判断に誰も責任を取らないとしたら。
今回の遺族の訴えは、そんな問いを私たちに突きつけている。
まとめ
- 相嶋静夫 さんは2020年3月に逮捕・起訴され、約7か月後に胃がんと診断された。保釈請求は8回に及んだがすべて却下された。一度認められた保釈も、検察の不服申立てで取り消された。2021年2月7日、72歳で死亡した。
- 日本の保釈制度は「原則として認める」と法律に定められている。しかし実務では、検察が反対意見を出すとほぼ認められない。裁判所が認めても検察が覆せる「二重の壁」がある。これが「人質司法」の構造だ。
- 2025年5月、東京高裁は逮捕・起訴を違法と認定した。警察・検察の幹部は謝罪し、元幹部3人が個人で計528万円を支払った。一方、裁判所は個別事件の検証も謝罪も行っていない。
- 相嶋さんの遺族は2026年4月、保釈を認めなかった判断に関わった裁判官37人の責任を問い、国に約1億7000万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。裁判官個人を対象とした国家賠償訴訟は極めて異例だ。
この事件が示すこと
警察・検察の違法捜査は認定された。
残る問いは「それを止めるべき裁判所が、本当に役割を果たしていたのか」だ。
その問いに法廷が初めて向き合おうとしている。
よくある質問(FAQ)
Q1. 大川原化工機冤罪事件とはどんな事件?
機械メーカー大川原化工機の社長らが外為法違反で逮捕・起訴されたが、後に逮捕・起訴ともに違法と認定された冤罪事件。
元顧問の相嶋静夫さんは勾留中にがんを発症し、保釈されないまま亡くなった。
Q2. 相嶋静夫さんはなぜ保釈されなかったのか?
検察が「罪証隠滅のおそれがある」と反対し続け、東京地裁がその意見を追認したため。
8回の請求がすべて却下され、一度認められた保釈も検察の不服申立てで取り消された。
Q3. 大川原化工機冤罪事件の損害賠償額はいくら?
元顧問の遺族が国に請求する賠償額は約1億7000万円。
逮捕・起訴を違法とした別の国賠訴訟では約1億6600万円の賠償が確定し、警視庁・国が支払った。
Q4. 人質司法とは何か?
否認すると勾留が長引き、自白したほうが早く外に出やすくなる構造のこと。
刑訴法は保釈を原則認めるよう定めているが、実務で検察の反対意見が通りやすい状況が続いている。
Q5. 裁判官を訴えることはできるのか?
国家賠償法を通じて国を訴える形で責任を問うことは可能。
ただし裁判官個人の判断を違法と認定させることは非常に難しく、今回の訴訟も長期化するとみられる。
Q6. 保釈が認められる基準は何か?
刑訴法89条で原則として認める義務がある。
罪証隠滅・逃亡のおそれがある場合に却下できるが、同法90条は被告の健康状態や生活上の不利益も考慮するよう定めている。
Q7. 大川原冤罪で警察・検察はどう対応したか?
東京高裁判決確定後、警視庁・検察幹部が相嶋さんの墓前で謝罪。
元幹部3人が個人で計528万円を支払った。
捜査員個人が賠償金を負担するのは極めて異例の対応だ。
Q8. 最高裁は大川原事件を受けて何をしたか?
2026年1月15日、全国の刑事裁判官約70人を集めた研究会を開き、適切な保釈判断のあり方を議論した。
ただし大川原事件の個別の保釈判断は検証していない。
リアルタイムニュースNAVI 編集部
reaitimenews.com
話題のニュースを「なぜ?」の視点で深掘りするニュースメディアです。
法律・心理学・経済など専門分野の知識をもとに、報道だけではわからない背景や理由をわかりやすく解説しています。
📚 参考文献
- テレビ朝日「"裁判官判断は違法"遺族が提訴へ 「大川原化工機」冤罪事件」 (2026年3月26日)【権威・提訴概要・裁判官37人・賠償額】
- FNN(フジテレビ)「「大川原化工機」冤罪 元顧問の遺族が1.7億円賠償請求へ…がん判明も保釈されず死亡」 (2026年3月26日)【権威・事件概要・遺族主張】
- 日本弁護士連合会「大川原化工機事件」 【権威・事件の詳細な経緯・保釈請求の記録】
- 山陽新聞「最高裁「適切な保釈判断」研究会 大川原冤罪受け裁判官70人」 (2026年1月15日)【権威・最高裁研究会の内容】
- 刑事弁護OASIS「HRWとIPJが、「第3回 人質司法サバイバー国会」を開催」 (2026年4月3日)【専門・人質司法国会・弁護士・経済界コメント】
- note「運用では出さない大川原化工機事件が暴いた「人質司法」」 (2026年3月26日)【補完・刑訴法の条文解説・保釈制度の構造分析】