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NHKの報道によると、国連が確認したロシアによる性暴力の被害者は、約8割が男性だった。
なぜ男性が標的なのか、なぜ被害は見えなかったのか。
その構造と、沈黙を破り始めた当事者たちの今を追う。
この記事でわかること
被害者の約8割が男性──数字と証言が語る実態
NHKの報道によると、国連の人権監視団が確認したロシアによる性暴力700件のうち、約8割にあたる545件の被害者は男性だった。
性暴力の被害者は女性が大半だと思われてきた。
紛争下でも、報道で取り上げられるのは女性への暴力がほとんどだった。
ところが現実は、被害者の大半は女性 → 約8割が男性だった。
国連の公式記録
国連ウクライナ人権監視団は、2022年2月から2024年8月までに376件の紛争関連性暴力を記録した。
そのうち262件が男性、102件が女性、10件が少女、2件が少年の被害だった。
(出典:国連ウクライナ人権監視団 公式サイト)
さらに衝撃的な数字がある。
ウクライナの紛争関連性暴力を調査した国際報告書(White Paper)によると、帰還した元捕虜のおよそ80%が、拘束中に性暴力を受けたと報告している。
具体的にどんな暴力が行われたのか。
AFP通信が伝えた国連特別報告者ジル・アリス・エドワーズ氏の声明によると、被害者10人全員が「性器を含む部位に繰り返しの電気ショック」を受けていた。
殴る蹴るの暴行、目隠し、水責めも加えられた。
男性被害者の証言(NHK報道より)
「私の性器に電線を当て、『これは嘘発見機だ』と尋問されました。性暴力が拷問の手段だったのです」
レイプ、去勢の脅し、強制的に裸にされるといった行為も報告されている。
NHKおはよう日本では「声を上げれば殺される」という恐怖のもとで行われていた実態が伝えられた。
注目すべきは、男性と女性で暴力の形が異なる点だ。
| 男性被害者 | 女性被害者 | |
|---|---|---|
| 主な場面 | 拘束施設・収容所 | 占領地の民家 |
| 主な手段 | 性器への電気ショック、レイプ、去勢の脅し | レイプ、家族の前での暴行 |
| 主な目的 | 尋問・拷問・屈服 | 恐怖の植え付け・コミュニティ破壊 |
この違い自体が、性暴力が無差別な犯罪ではなく、標的と目的を使い分けた「組織的な行為」であることを示している。
しかもこの数字は氷山の一角だ。
NHKによると、聞き取りができた捕虜は全体の1割にすぎない。
国連は実際の被害ははるかに多いとみている。
では、なぜロシアは男性を性暴力の標的にするのか。
そこには「兵器」としての冷徹な論理があった。
性暴力は「安上がりな破壊兵器」──男性が標的になる理由
紛争下の性暴力は性欲の問題ではない。敵の尊厳を破壊し、コミュニティ全体に恐怖を植え付ける「兵器」だ。
性暴力は性欲の発露だ、という思い込みがある。
戦場で兵士が「暴走」した結果だと。
この見方は根本から間違っている。
紛争下の性暴力研究が示す事実
内閣府PKO(@PKOなう!第77回)の分析によると、紛争下の性暴力は「攻撃が性的な形をとって行われている」と整理されている。
つまり性暴力は性欲の問題ではなく、暴力の手段なのだ。
AFP通信が伝えた国連特別報告者の声明もこう指摘する。
「ロシアは、占領地域の民間人を脅迫し、恐怖を植え付け、支配するために拷問を利用している」。
性暴力はその拷問の中核にある。
なぜ「男性」が効果的な標的になるのか
ここにジェンダーの構造が関わる。
内閣府PKOの分析によると、多くの社会には「男性は強くあるべき」「男性がコミュニティを守る」という規範がある。
ウクライナも例外ではない。
この規範があるからこそ、性暴力は破壊力を持つ。
男性に性暴力を加えると、被害者は「弱者化」されたと見なされる。
社会的な地位や力を奪われ、「守るべき存在」から「守れなかった存在」に転落させられる。
性暴力の真の狙い
性暴力の狙いは個人の破壊だけではない。
被害者を通じて、その家族やコミュニティ全体に恥辱と恐怖を植え付け、社会の結束を内側から壊すことだ。
弾薬も爆薬もいらない。
人の尊厳を壊すだけで、コミュニティ全体を崩壊させられる。
だから「安上がりな破壊兵器」と呼ばれる。
歴史は繰り返されている
このパターンはウクライナで初めて起きたわけではない。
1990年代の旧ユーゴスラビア紛争でも、同じ構造の暴力が記録されている。
内閣府PKOの報告によると、サラエボ県の強制収容所に拘束されていた男性5,000人のうち、80%が拷問としてレイプされた。
30年前のボスニアで起きたことが、いまウクライナで繰り返されている。
偶発的な犯罪ではなく、紛争のたびに構造的に反復される暴力だといえる。
性暴力が「戦略」として機能するには、もう一つの条件がある。
被害者が沈黙することだ。
「拷問とは言えても、性暴力とは言えない」──沈黙の構造
多くの男性被害者は、自分が受けた暴力を「拷問」とは語れても「性暴力」とは呼べない。ジェンダー規範と社会構造が「二重の沈黙」を生んでいる。
もし自分がこのような暴力を受けたとして、「性暴力の被害者です」と名乗り出られるだろうか。
多くの男性被害者が、その一歩を踏み出せないでいる。
国際報告書の記録
ウクライナの紛争関連性暴力に関する国際報告書(White Paper)は、「多くの男性被害者は、自分の経験を性暴力とは呼ばず『拷問』とだけ表現する」と記録している。
自分が受けた行為に「性暴力」という名前をつけること自体ができないのだ。
TBS NEWS DIGが報じたウクライナの弁護士カテリーナ・ブソル氏の指摘も同じ方向を示す。
「男性は自分が受けた行為が性暴力に当たることを認識できず、被害を訴えないこともある」。
なぜ認識できないのか
国境なき医師団(MSF)のスタッフとしてウクライナに派遣された村上千佳氏は、現地の空気をこう語る。
「『男は強くなくてはいけない』『男は泣いちゃいけない』という考え方がいまも残っています」。
被害を口にすれば「弱い男」と見なされる。
同性から性暴力を受けたことで「同性愛者」のレッテルを貼られる恐怖もある。
内閣府PKO(@PKOなう!第80回)の分析によると、旧ユーゴスラビアの国際戦犯法廷でも、男性被害者本人が証言したケースはほとんどなかった。
大半は第三者の目撃者による証言だった。
制度の壁も厚い。
国際報告書(White Paper)には、ウクライナのヘルソン州で男性被害者が警察に被害を報告しようとしたところ、嘲笑されたり拒否されたりした事例が記録されている。
名づけられない暴力が、最も深い傷を残す
ここに逆説がある。
PTSDの発症率の差
内閣府PKOの報告によると、性暴力を受けた男性の70%以上がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する。
一方、性的要素を含まない拷問を受けた男性では30%程度にとどまる。
性暴力は通常の拷問の2倍以上の心理的ダメージを与える。
最も深い傷を残す暴力が、最も名前をつけにくい。
被害者は「拷問を受けた」とは語れても「性暴力を受けた」とは言えない。
名づけられないから支援につながらず、支援につながらないから傷が深くなる。
⚠️ ここからは推測になるが、適切なケアを受けないまま社会に戻った元兵士が、新たな暴力に関与するリスクも指摘されている。紛争後の暴力の連鎖を断つためにも、性暴力被害の可視化は避けて通れない課題だろう。
それでも、沈黙を破る動きが始まっている。
沈黙を破る「サバイバー」たち──ウクライナで始まった変化
ウクライナは紛争が続く最中に性暴力被害者への補償法を制定した。こうした法整備を行った国は世界で初めてだ。
「被害者」から「サバイバー」へ
MSFの村上氏は、現地の当事者たちについてこう語る。
「彼らは自分のことを『被害者』とは言わず、『サバイバー』と呼びます。哀れみの対象ではない、被害から立ち直って生きている、という意味が込められています」。
男女のサバイバーの連帯
国際報告書(White Paper)によると、元被害者のオレクシー・シバク氏は、男性サバイバーのネットワーク「Alumni(アルムニ)」を立ち上げた。
女性サバイバーのネットワーク「SEMA Ukraine」と連携し、国連事務総長への公開書簡に共同で署名を集めている。
男女のサバイバーが連帯して声を上げるという動きは、紛争下の性暴力をめぐる歴史の中でもまれなケースだ。
補償制度が映し出す現実
制度面の変化も進んでいる。
TBS NEWS DIGの報道によると、ウクライナ政府は性暴力の被害者に1人あたりおよそ53万円を支給する緊急補償制度を試験的に導入した。
600人以上が支給を受け、その半数以上が男性だった。
弁護士ブソル氏の指摘
「性暴力はこれまで『男性による女性への暴行』として語られてきました。男性の被害者をないがしろにする形で理解や支援が行われてはいけません」
2024年11月には、ウクライナ議会が性暴力被害者の法的・社会的保護に関する法律を可決した。
心理的支援、医療、補償金を一体で提供する仕組みだ。
国際報告書はこの法律について「紛争が続いている最中に補償法を制定した国は、世界でウクライナが初めて」と記録している。
これからが本番
ただし、課題は山積みだ。
MSFの村上氏は「捕虜の人たちも戻ってきている中で、むしろこれからが、支援を必要とする状況になる」と指摘する。
帰還する元捕虜が増えるにつれ、性暴力被害の実態はさらに明らかになっていくだろう。
性暴力は「戦争が終われば消える」暴力ではない。
第二次世界大戦から80年がたった今も、心の傷は語り継がれている。
ウクライナの当事者たちが自らを「サバイバー」と呼び、声を上げ始めたこと。
それは、長い回復の道のりの出発点だ。
まとめ
- ロシアによるウクライナでの性暴力は組織的に行われ、確認された被害者の約8割が男性
- 性暴力は性欲ではなく「支配と破壊の手段」として使われている
- 男性被害者はジェンダー規範により声を上げにくく、被害が不可視化されてきた
- ウクライナでは当事者ネットワークの連帯や補償制度の法制化など、変化が始まっている
- この問題を「知ること」が、不可視化に抗する第一歩になる
よくある質問(FAQ)
Q1. ロシアによるウクライナでの性暴力の被害者数はどのくらい?
国連人権監視団は376件を記録。NHK報道では700件が確認され、うち約8割の545件が男性被害者。
Q2. なぜ男性が性暴力の標的にされるの?
性欲ではなく「支配と破壊の手段」として使われる。男性の尊厳を奪い、コミュニティ全体に恐怖を植え付ける狙い。
Q3. 紛争下の性暴力で男性被害者が多いのはウクライナだけ?
1990年代の旧ユーゴスラビア紛争でも男性収容者の80%がレイプ被害を受けたと報告されており、歴史的に反復されている。
Q4. 男性の性暴力被害者はなぜ声を上げられないの?
「男は強くあるべき」というジェンダー規範や、同性愛者と見なされる恐怖から、被害を性暴力と認識すること自体が困難。
Q5. ウクライナでは性暴力被害者への支援はあるの?
1人あたり約53万円を支給する緊急補償制度があり、600人以上が受給。紛争中に補償法を制定した国は世界初。
Q6. 性暴力の心理的影響はどのくらい深刻?
性暴力を受けた男性の70%以上がPTSDを発症。性的要素を含まない拷問の場合は30%程度で、約2倍の心理的ダメージ。
Q7. 「サバイバー」とはどういう意味?
当事者が自らを「被害者」ではなく「サバイバー(生存者)」と呼ぶ。哀れみの対象ではなく立ち直って生きている存在という意味。
Q8. ロシアの性暴力は国際法で裁けるの?
ウクライナは2024年8月にローマ規程を批准し、国際刑事裁判所との連携を強化。捜査と訴追の体制整備が進んでいる。
リアルタイムニュースNAVI 編集部
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📚 参考文献
- AFP通信「『性器に電気ショック』ロシア、ウクライナ民間人に性的拷問」(2025年8月22日)
- 国連ウクライナ人権監視団(OHCHR)「In Ukraine, survivors speak out about conflict-related sexual violence」(2024年11月25日)
- TBS NEWS DIG「ウクライナでの性暴力テーマの報告会 男性への性暴力被害の実態」(2025年11月6日)
- 国境なき医師団(MSF)「『性暴力被害を埋もれさせない』 ウクライナ派遣の日本人スタッフ」(2026年2月24日)
- 内閣府PKO @PKOなう!第77回「紛争下における男性及び男児に対する性暴力(2)」(2014年8月29日)
- 内閣府PKO @PKOなう!第80回「紛争下における男性及び男児に対する性暴力(3)」(2014年10月30日)
- White Paper「Conflict-related sexual violence in Ukraine: Where are we now?」(2025年6月)