農家の長男が「一銭も納めていない」と後悔した気持ちが、今や年間1兆円規模で動く税の制度を生んだ。
政界を引退して半年。
菅義偉元首相 (77歳)が読売新聞のインタビューで「いつまでたっても忘れない」とふるさとへの思いを語った。
秋田県湯沢市・秋ノ宮という山深い集落で農家の長男として育ち、高校卒業後に東京へ飛び出した一人の青年が、半世紀をかけて日本の頂点まで上り詰めた。
その旅路の終わりに語った「ふるさとへの思い」には、単なる懐かしさを超えた背景があった。
この記事でわかること

引退から半年、菅元首相は今何をしているか
「喜寿を迎え、後進に道を譲る」—— 2026年1月17日 、菅義偉氏はそう語って政界を去った。
時事通信 によると、引退会見は体力への配慮から質問数が絞られ、時間はわずか約 10分 だった。
それでも菅氏は背筋を伸ばし、ゆっくりとした口調で誠実に答えたという。
実は、政界引退後の動向として見落とされがちな事実がある。
菅氏は 2023年から日印協会(日本とインドの交流を促す公益財団法人)の会長 を務めていた。
しかし 2026年4月8日 、その会長職も退任した。
日印協会 が公式に発表しており、後任には 岸田文雄元首相 が就いた。
政界引退からわずか 3ヶ月 足らずで主要な公職を離れたことになる。
引退表明後もしばらく何らかの公的な役割を担い続ける元首相は珍しくないが、菅氏の場合はそのスピードが速かったと言えるだろう。
では、そうして表舞台を去った菅氏が「ふるさとへの思い」を語ったのはなぜか。
その答えは、彼が育った場所にある。
広告
「ふるさと」秋ノ宮とはどんな場所だったのか
高校まで通学に 2時間 かけた山の集落——それが 菅義偉氏 の原点「 秋ノ宮 」だ。
秋田県湯沢市秋ノ宮。
東京から約 500キロ 離れた山深い集落に、菅氏は 1948年 に生まれた。
菅義偉公式サイト によると、農家の長男として育ち、家の手伝いをしながら高校を卒業した。
秋田県立湯沢高校 への通学には片道 2時間 かかったとされており、その地理的な孤立ぶりは都会の感覚ではなかなか想像できないだろう。
秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現・湯沢市秋ノ宮)の農家の長男として生まれる
秋田県立湯沢高校に片道2時間かけて通学。
進学組に所属した
「東京で自分の力を試したい」と家出同然で上京。
板橋区の段ボール工場に就職するも約2ヶ月で退職
築地市場でのアルバイト等で資金を貯め、法政大学に入学
総務大臣として「ふるさと納税」制度を創設。
秋田への思いが原点だったとされる
第99代内閣総理大臣に就任。
秋田県出身者として初めて首相の座に就いた
政界引退を正式表明。
同年4月に日印協会会長も退任し、表舞台から完全に離れた
高校を卒業した後、菅氏は「東京で自分の力を試してみたい」と家出同然で上京した。
就いた仕事は東京都板橋区の 段ボール製造工場 だった。
しかし約 2ヶ月 で退職し、その後は築地市場でのアルバイトなどで資金を貯め、 法政大学 に入学した。
農家の長男が家業を継がず、故郷を出ていったのだ。
この「 家を出た長男 」という立場が、後に日本の税制度を動かす。
農家の親に何も返せないまま都会で生きていく——そのやましさが、意外な形で結実することになる。
広告
なぜ「ふるさと納税」は秋田の農家の長男が作ったのか
「秋田に一銭も納めていない—— この自責感がふるさと納税の出発点だ。
」
一般に、 ふるさと納税 は「 地方活性化のための政策 」として知られる。
しかし実際の動機は、もっと個人的なものだったとされる。
ふるさと納税ニッポン! に収録された菅氏本人の言葉がある。
「農家の長男だった私は、家業を継がず、政界入りしましたから、自分を育ててくれたふるさとのことは、いつも気になっていました。
何かよい方法で、ふるさとへ還元できないか、ふるさととの絆をつくれないかと、ずっと考えていたのです」。
菅氏に近い総務省OBも「自分は秋田で高校まで育って世話になっているのに、上京してから 一銭も故郷に納税していないのはおかしい 、と菅さんは話していた」と証言しているとされる。
制度創設の過程は順調ではなかった。
当時の官僚たちからは「税の受益と負担の原則(住んでいる場所に税を納める、という原則)から外れる」と猛烈な反発を受けた。
菅氏はそれを押し切った。
「ふるさと」の定義を法律で厳密に決めようとする官僚側に対し、菅氏は「 自分の思うところがふるさとでいい 」と主張し続けたという。
ここに興味深い構造があるのではないか。
社会心理学では、強い「罪悪感による行動動機」が、通常では突破しにくい壁を突き破る原動力になることが知られている。
また組織論には、制度を作った人の個人的な信念が制度の設計に無意識に刻み込まれるという考え方がある。
菅氏が押し通した「どこでもふるさと」という曖昧な定義は、故郷を離れた全ての人への「免罪符」として機能するよう設計されたものだったのかもしれない。
ふるさと納税の「どこでもふるさとでいい」というゆるいルールは、菅さん自身が「故郷を捨てた自分を許したかった」から生まれた設計かもしれない。
実際、ふるさと納税の寄付総額は制度が始まった 2008年度 の初年度から急成長した。
菅氏のインタビューによると、 2021年度 には約 8,300億円 に達したとされており、これは初年度の約 81億円 と比べると約 100倍 の規模だ。
【規模感の計算】
8,300億円 ÷ 1億2,500万人(日本の人口)≒ 国民1人あたり約 6,600円
初年度(81億円)→ 2021年度(8,300億円):約 100倍 の成長
※ふるさと納税ニッポン!掲載の菅氏インタビューをもとにした概算。
推定値を含む。
個人的な後悔から始まった制度が、これほどの規模に育ったのは驚くべきことだろう。
では故郷・秋田は、そんな菅氏をどう評価したのか。
広告
意外な事実がある。
首相だったときに贈られなかった名誉市民の謎
秋田県出身で 唯一の首相 ——それでも在任中に名誉県民にはならなかった。
2026年6月9日 、秋田県議会が菅氏を秋田県の名誉県民に選定することを正式に決めた。
秋田魁新報 が伝えている。
名誉県民への選出は 6人目 で、 20年 ぶりのことだ。
同じ時期、湯沢市も動いた。
河北新報 によると、湯沢市は 2005年 の合併で誕生した「新しい市」として 初めての名誉市民 に菅氏を選んだ。
秋田テレビ(Yahoo!ニュース) によれば、 7月以降 に佐藤市長が菅氏を訪問し、地元の伝統工芸品・ 川連漆器 の記念品を贈る予定という。
2026年6月9日に正式決定。
20年ぶりの選出。
秋田県出身で初の首相を顕彰。
2005年合併後の新市として初。
7月以降に川連漆器の記念品を贈呈予定。
名誉県民かつ名誉市民という 二重の顕彰 が、引退のタイミングで同時に行われた。
秋田県出身者として初めて首相になったにもかかわらず、 在任中にはこうした顕彰が行われなかった 。
その理由について公式な説明はない。
ただ、現役の政治家への顕彰は政治的な立場への評価と取られかねず、難しい面があるのかもしれない。
引退という節目が、故郷にとってもようやく「返礼」できるタイミングだったのではないか。
広告
名誉県民・名誉市民という形で、故郷からの「お返し」を受けた菅氏。
では彼の「いつまでたっても忘れない」という言葉は、誰に向けられたものなのか。
「いつまでたっても忘れない」の先にあるもの
地方を出て都市で生きる——その選択に後ろめたさを感じたことはあるか。
菅氏が引退会見で残した言葉がある。
時事通信 によると、会見の場で「 ゼロからの出発でも首相になれる 」と語ったという。
故郷を出た一人の農家の長男として、それが伝えたかったことだったのだろう。
日本では地方から都市に出た人の数は 数千万人 規模にのぼる。
その多くが、菅氏と似た感情を持つのではないか。
「お世話になったのに、何も返せていない」という気持ちだ。
ふるさと納税 という制度は、その感情を持つ人全員に「自分が思うところに、税の一部を戻せる」仕組みを与えた。
菅氏の「いつまでたっても忘れない」という言葉は、個人の感慨であると同時に、 故郷を離れた全員が持つ感情の言語化 だったのかもしれない。
秋ノ宮の農家を飛び出した青年の後ろめたさが、国家の制度に変わり、その制度が今度は「故郷を忘れないでいい社会」を作った——そういう読み方もできるだろう。
広告
ふるさとを「一銭も救えなかった」と感じた罪悪感が、全国民が使える制度に姿を変えた——そのことを思うと、ふるさと納税の使い方も少し違って見えてくるはずだ。
まとめ
- 菅義偉元首相は2026年1月に政界を引退し、同年4月には日印協会会長職も退いた。引退表明からわずか3ヶ月で主な公職を離れたスピードは、他の元首相と比べても異例に速い。
- 菅氏のふるさと「秋ノ宮」は、高校まで片道2時間かけて通学した山深い集落だった。農家の長男として育ちながら家業も継がずに上京したことへの「後ろめたさ」が、のちのふるさと納税制度の原点になったとされる。
- ふるさと納税は「地方活性化政策」に見えるが、創設の動機は「上京してから秋田に一銭も納税していない」という個人的な自責感だったとされる。菅氏が押し通した「自分が思うふるさとがふるさとでいい」という曖昧な定義は、故郷を離れた全員への「免罪符」として機能している。
- 秋田県出身者として初めて首相になったにもかかわらず、在任中には名誉県民・名誉市民の顕彰がなかった。引退を節目に初めて二重顕彰が実現した背景には、現役政治家への顕彰が持つ難しさがあったのかもしれない。
よくある質問(FAQ)
Q1. 菅義偉元首相の引退後の現在の活動は?
2026年1月に政界引退を表明し、同年4月には日印協会会長職も退任した。
後任会長は岸田文雄元首相が務めている。
Q2. 菅義偉元首相はなぜ政界引退を決めたのか?
2026年1月17日の会見で「喜寿を迎え、後進に道を譲ることを真剣に考えた」と語った。
体力への配慮も理由の一つとされる。
Q3. 菅義偉元首相の出身地・ふるさとはどこか?
秋田県湯沢市秋ノ宮出身。
農家の長男として育ち、高校卒業まで秋田で生活した後に上京した。
Q4. 菅義偉元首相はなぜふるさと納税を作ったのか?
上京後に秋田に一銭も税金を納めていないことへの自責感が動機だったとされる。
本人も「ふるさとへ還元したい」と語っている。
Q5. 菅義偉元首相は秋田県の名誉県民になったのか?
2026年6月9日、秋田県議会が菅氏を6人目の名誉県民に選定することを正式に決定した。
20年ぶりの選出となった。
Q6. 湯沢市が菅義偉元首相に名誉市民を贈るのはいつか?
湯沢市は市議会6月定例会で同意を得て、2005年の市合併後初の名誉市民として選定。
7月以降に市長が菅氏を訪問し川連漆器の記念品を贈る予定とされている。
Q7. 菅義偉元首相が首相在任中に名誉県民にならなかった理由は?
公式な説明はない。
現役政治家への顕彰は政治的立場への評価と捉えられる難しさがあるとも考えられるが、詳細は不明だ。
📚 参考文献
- 日本経済新聞「菅義偉元首相が次期衆議院選挙に不出馬へ 政界引退を近く表明」 (2026年1月16日)
- 時事通信「菅義偉・元首相『引退』で揺らぐ高市政権【点描・永田町】」 (2026年2月3日)
- 河北新報「秋田・湯沢市 菅義偉元首相(湯沢市出身)を初の名誉市民に」 (2026年5月26日)
- 秋田魁新報「菅元首相に『名誉県民』称号贈呈を決定 6人目、秋田県議会が選定案に同意」 (2026年6月9日)
- 秋田テレビ(Yahoo!ニュース)「湯沢市、菅義偉元総理大臣に『名誉市民』称号贈呈へ 県出身者で初の総理は"市民の誇り"」 (2026年5月26日)
- ふるさと納税ニッポン!「【独占!】ふるさと納税制度の創設者の菅義偉前首相にインタビューしました!」 (公開日不明)
- 日印協会「公益財団法人日印協会の会長交代について」 (2026年4月8日)
- 菅義偉公式サイト「プロフィール すが義偉物語」 (公開日不明)
- news-postseven.com
- fstx-ri.co.jp
リアルタイムニュースNAVI 編集部
reaitimenews.com
話題のニュースを「なぜ?」の視点で深掘りするニュースメディアです。法律・心理学・経済など専門分野の知識をもとに、報道だけではわからない背景や理由をわかりやすく解説しています。
広告